〜第1章 きっかけ〜
それは春先の出来事だった。
就職難といわれる中、就職先も決まり、浮かれている自分だった。
俺の名は宮村秋人(みやむら・あきひと)、今年大学を卒業する学生だ。
就職先というのは、とある高校・・・。
昔から絵が好きだった俺は、時間があれば紙と鉛筆を使って絵を描いていた。
その絵の実力を高校時代に恩師に認められ、見事美大に合格し、そのまま教員免許を取得するため必死に勉強した。
教師になろうと思ったのは特に理由はない。ただ、より多くの人に絵の素晴らしさというのを教えたかった・・・それだけのことかもしれない。
赴任一日目。
期待と不安を胸に抱きながら、俺は校門をくぐった。
桜華高校(おうかこうこう)という、その高校は今年から男女共学になったところである。
去年までは女子高だったためか、女子の割合が非常に高い。
以前に説明会で訪れたときに以下のような話題があった。
「ウチの高校は将来デザイン系へ進路をとる生徒が非常に多いので、是非がんばってほしい」
責任重大だ。
俺のさじ加減一つで、生徒の将来が決まってしまうなんて・・・。
ただ、美術っていうのはその人の持つ才能であって、俺はその才能を開花させるサポートという役柄をするしかない。
がんばれと言われても、どうやって頑張ればよいのか正直困ってしまう・・・。
そんなことを考えながら、職員室へ入っていった。
「おはようございま〜す」
俺の素っ気ない挨拶に、ベテランの教員たちは目を丸くした。
「あのね、赴任早々いうのはなんだけど、宮村君・・・挨拶って言うのは・・・」
「倉田先生、良いじゃないですか・・・彼だってまだ新人でわからないことばかりで・・・」
「しかし・・・・」
「すみませんねぇ・・・倉田先生のこと悪く思わないでくださいね・・・」
「あ、いえ・・・自分の方こそすみませんでした。 なにぶん不慣れなもので・・・」
「ところで、宮村先生・・・校長先生が来てほしいって言ってましたよ。まだ行かれてないのなら、早めに行かれた方が・・・」
「わかりました・・・すぐ行きます・・・」
俺は職員室を飛び出し、校長室へ向かった。
なんで職員室と校長室が離れているんだ・・・嫌がらせとしか思えないな・・・。
息を切らしながら校長室の前に立つと、立派な扉に少々臆してしまう自分だった。
昔からこういう場所に来るのは苦手なのだ。
成績優秀でなく、どちらかというと問題児だった自分はしょっちゅう呼び出しをくらっていた方で・・・。
昔を思い出しながら、呼吸を整え、ドアをノックした。
『はい』
「今日赴任した宮村です」
『はいりなさい』
威厳のある声に緊張してしまう自分。
なにも悪いことはしてないが、どうしてもそう感じてしまうのは悲しいサガなのだろうか・・・。
「しつれいします」
中に入ると、驚きのあまり目を丸くしてしまった。
こぢんまりとした部屋に机が置いてあり、そこに校長が座っているだけの部屋・・・。
「あはははは。君が言いたいことはわかっているよ、『ここが校長室?』って言いたいのだろう?」
「ええ」
「まぁ、簡単に言うとだな・・・・」
簡単に言うと、と校長が口を開いた後、話が終わったのは15分後だった。
どこが簡単なんだ・・・略して15分かかったってことは、簡単に言わないと30分くらいかかるというのか。
校長の言葉を要略すると、『校長本人の意向により、校長室を質素にし、その代わりに生徒たちの設備に費やした』とのことである。
生徒思いというか、ただの変わり者なのか、今のところわからない。
「宮村君、聞いているかね?」
「あ、はい・・・」
「で、君に赴任早々お願いしたいことがあって・・・。実は3月まで美術部を顧問してた教員が異動になってね」
「は、はぁ・・・」
「君の腕は噂に聞いているし、美術部の顧問として頑張ってほしいんだ」
「え? ちょっと考えさせてもらえませんか? いきなりっていうのもちょっと・・・考える時間をください・・・」
「これは決定なんだよ。 じゃ、よろしく頼むよ、宮村君」
「・・・・・・」
いきなり大役を任せられた。
こうやって勝手に決められるっていうのが好きじゃない自分にとって、少々嫌気がさしてしまう。
でもそんな文句を言っても、なにも始まらない。俺はポジティブに考え、素直に受け止めることにした。
10時過ぎ。
3限目に、初めての美術の授業だ。
とても緊張してしまう。
静かだった美術室に、にぎやかな生徒の声が響き渡っていた。
「はい、それじゃ静かにして。授業始めるよ」
出席簿をみながら、点呼をとる自分だった。
名簿をみて気づいたのだが、やはり男子が少なく女子が多い。
浅川・・・宇津井・・・遠藤・・・川上・・・熊井・・・須藤・・・
「え〜、それじゃ次。 な、なつやき? でいいのかな?」
「はい!」
その少女は目を輝かせながら、俺をみていた。
「???、先生の顔になにかついてるかな?」
「・・・・・・」
そんな俺の質問に対して、夏焼は黙って俺を見つめていた。
「まぁいいか、はい、それじゃ次、野々村・・・」
苦笑いしながら、俺は点呼を続けた。
赴任して最初の昼休み。
俺は購買部で買ったパンをかじりながら、生ぬるい缶コーヒーでのどを潤していた。
職員室でもいいが他の教員がいるので、美術室脇の準備室でひとり食べている。
「・・・・ふぅ・・・・やっぱりここが落ち着くなぁ・・・」
たばこを吸いながら、ぼーっとしているとなんだか落ち着く。
昔から一人が好きだった俺はこういう場所が好きなのだ。
静かで、誰もいなくて、たばこの煙をくゆらせながら考え事をして。
こういう時間がずっと続けばいいのにって感じる。
そう、ずっと・・・・・。
満腹感と睡魔に襲われた自分は、そのまま体を預け、少し仮眠をとることにした。
『先生? 宮村先生?』
ウトウトとしていたところへ俺を呼びかける女の子の声。
「いまは眠いんだ。 後にしてくれないか?」
『もぉ……お兄ちゃんっていつもそうなんだから……』
お兄ちゃん? 俺は兄貴はいたが妹は居なかったぞ。
『起きてくれたって言いじゃん。べぇ〜〜!!』
「?、誰だ、俺は妹なんて居ないんだ。気安く呼ぶなって……」
飛び起きて声のする方を見ると、一人の少女がはにかみながら立っていた。
「き、君は確か……」
「すごいよねぇ。先生が初めてだよ、私の名字を間違えずに言えたのって」
「夏焼……」
「そう、なつやきだよ。みんな『なつやぎ』って間違えるんだけどね」
「なんでこんなところに来たんだ。授業ならとっくに終わってるし、次の授業は明後日だぞ」
昼寝を邪魔されたからなのか、ちょっと怒り口調で夏焼に言うと…表情が曇った。
「すみませんでした。ただ……気になることがあって……」
「気になること?」
「……あの……やっぱりなんでもありません……すみませんでした」
それだけ言うと夏焼は走って準備室を出て行った。
「おい! 待て、待てって!! なんだったんだ、一体……」
心地いい昼寝の邪魔をされて気分が悪かったが、タバコを吸って気分を落ち着かせた。
夏焼雅か……。
美術準備室に残る、夏焼の残り香を嗅ぎながら考え事をする自分だった。
夕方18時過ぎ……日も暮れ、辺りは暗闇に包まれていた。
仕事も一段落し、帰宅しようと自分の車に向かうと、遠くのグランドで練習している人影が見える。
「へぇ〜、こんな時間になっても練習しているヤツが居るんだ……」
関心をしながら見ていると、どうやら居残りで走り込みをしているらしい。
その練習している光景が微笑ましく思い、しばらく眺めていた。
「先生!?」
練習していた生徒が俺の存在に気付いたらしい。近づいてくるのがわかる。
「先生、どうしたの?」
「な、夏焼……キミだったのか……」
「今度、水泳部の地区大会があるので、それに向けて練習していたんです」
「水泳部?! 走るのが練習なのか?」
てっきり陸上部だと思った俺は、素っ頓狂な声で聞いてしまった。
「はい、平泳ぎ100mとなるとスタミナが要求されるため、そのために練習してたんです」
「そうか、そうか……なるほどなぁ……練習熱心なのは良いけど、あまり遅くまで残るなよ」
「はぁ〜い、わかりました〜」
それだけいうと夏焼はまたグランドに戻り、走り始めた。
俺は心底感心した。自分の高校時代は、こんなに真面目に部活動なんてしてなかった。
なにか目標があり、それに向かって努力をする人というのは、輝いて見えてしまう。
そんな夏焼はとても輝いて見えた。
「先生、さようなら〜」
後ろから不意に声をかけられた。
ビックリして振り返ると、美術部員の石村だった。
「なんだ、石村か。ビックリしたよ^^;」
「雅ちゃん、一緒に帰ろ〜〜」
「はぁ〜い、ちょっとまって〜」
………!
「石村、夏焼と友達なのか?」
「???、そうですけど?」
「そっか、そうなのか……あは、あははは……それじゃ、気をつけて帰るんだぞ」
俺はそれだけ言うと、帰宅するために愛車へ乗り込んだ。
夏焼、夏焼雅か……
つづく